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大丈夫じゃない私たちが、大丈夫なふりをしなくていい服──「ケイスケヨシダ」2026年春夏コレクション

大丈夫じゃない私たちが、大丈夫なふりをしなくていい服──「ケイスケヨシダ」2026年春夏コレクション

 いいものを見た直後の脳は、混沌としている。情報が過剰なのではなく、脳が刺激され感覚が暴れるのだ。一方、つまらないものは驚くほど簡単に言語化できる。「良さ」とは、認識の遅延を含むものなのかもしれない。「ケイスケヨシダ(KEISUKEYOSHIDA)」の2026年春夏コレクションを見た直後、まさにその「認識の遅延」の中にいた。言葉よりも先に感情が押し寄せてきて、輪郭をもたないまま、ただ心に残る。

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 話は少し逸れるが、ケイスケヨシダの展示会は、いつ行ってもひっきりなしに人が訪れる。会期は他ブランドよりもやや長く、基本的には吉田本人がずっとその場にいる。これはもはや展示会というより個展に近い。かつてはファンにも門戸を開き、個人オーダーもできる仕組みだった。秋冬の展示会に足を運ぶと、ラックにはファンたちが大切に着続けてきた歴代のケイスケヨシダのアウターがずらりと並ぶ。その光景は壮観ですらある。そんな展示会に足を運んだファンひとりひとりに吉田本人が丁寧に対応する姿も印象的だ。試着をして鏡の前でくるくると回りながら自分の姿をうっとりと見つめる人々に「うん、似合ってるよ」「こういう着方もできるから、そっちのほうが今のスタイリングに合いそうだね」なんて、声をかける。彼の服を愛する者にとって、デザイナー本人からのその言葉は魔法だ。私だったら、その服を一生着続けると思う。単に“ファンサービス”と言語化しても良いのだが、その優しさを吉田が持ち合わせているのは、彼が誰よりもケイスケヨシダの服を好きな人たちの「こころのかたち」を理解しているからだと推察する。ご存知の通り、ケイスケヨシダの服はこれまでもずっと、きわめてパーソナルで、内向的な感情をすくい上げるようにして作られてきた。彼自身もファッションに救われ、デザイナーをロックスターを崇めるように敬愛してきた。吉田の作る服を愛する人々は、真面目で真っ直ぐな故に少し心が脆くて、自分に自信がないように見えて、実はものすごく強い意志を持っている。それでもやっぱりまだまだ自信が持てない。そういう矛盾を抱えた、複雑で繊細な人々だと思っている。そしてそれは他でもない「かつての吉田圭佑」自身の姿だ。あるいは、現在進行形で彼もそうなのかもしれない。だからこそ彼は、誰よりも深い解像度で、彼らを見ているし、理解している。自分がかつてしてほしかったことを、今はファンに向けて差し出していると言ってもいい。吉田には、そういう“サービス精神”がある。人を喜ばせることを、照れずにできる人はこの時代においてどれだけいるのだろうか。

届いたインビテーション

 今季、「Refresh and Relaxation」と刺繍されたハンカチーフがインビテーションとして配られたのだが、その箱裏には「繊細な心と強い意志(True-Hearted in Relentless Resolve)」と書かれていたことを、ケイスケヨシダの服を愛する人々にぜひ伝えたい。一見、矛盾を孕んだそのフレーズは、むしろブランドの中枢にある信念だ。むやみに強さだけが称揚されがちなこの社会で──とくに女性のエンパワメントの文脈においては「強い人の在り方」という言葉が都合よく使われすぎる今において、吉田の服は、そうした“強さ”の上澄みだけを撫でていない。そもそも、大丈夫な人が書く「大丈夫だよ」という物語は、本当の意味で励ましになり得るのだろうか。ケイスケヨシダの服が胸を打つのは、(語弊を恐れずに言えば)彼自身が“全然大丈夫じゃない”まま、大丈夫じゃないなりに服を作り続けているからだ。 大丈夫じゃないことを隠さず、それでもなお「大丈夫そうに見えるもの」を差し出そうとする。その不安定な優しさに、きっとたくさんの人が何度も救われてきた。

 吉田曰く「この数シーズンの『女性像』はどこか自分の心の中で生まれたようなマジカルな存在で、前回のコレクションは、それを現実に引きずりだそうとした感覚があった。それらを経て、過去よりも現実のほうが大切だ、と心から思えたから、これからはそれをもっと表現していこうと思った」そうだ。それは心の成長過程でいうところのブレイクスルーと言える。前回のショーで、池袋ロサ会館を会場に選んだのも、おそらく「自分の記憶の中にある、どうしようもないほどの(書き換え不可能な)現実」として対峙する必要があったのだろう。吉田は続ける「いままでは『社会と距離がある自分』の内側にあるものを社会に近づけていく作業だった。でも、ブランドがちゃんと社会の中心から物事を眺めなきゃと思った」。

 社会と距離がある自分の内側=孤独はこれまでもケイスケヨシダのキーワードであったと思うが、彼のいう「孤独」は決して「さみしいこと」とイコールでは結べないと認識している。吉田が扱ってきた孤独はもっと生活に息づくものだった。ファッションの中で孤独を美化せず「隣にあるもの」として静かに引き受けてきた。「レディオヘッド(Radiohead)」のトム?ヨークが「君の歌詞はネガティブな内容ばかりだ」と指摘された際「歌詞をつけること自体がポジティブな行いだ」と返した逸話があるのだが、吉田の創作過程もそれに近しいものを感じる。暗さや憂鬱を表現に昇華すること自体が、すでにポジティブな行為なのだ。

 さて、吉田の社会との関わり方を踏まえたうえで、次に「現実」の「社会」や「都市」が現在どのような状態にあるのかを考える必要がある。端的に言えば、「生きているだけで偉い」という言葉が一般的になる程度には、生きることが難しい時代になっている。これから先ちっとも良くなる未来が描けないような翳りが社会全体を包み、情報が溢れかえり、かつては加点法だったものが減点法になり、人々は「ダサい」と思われないように必死だ。先述のように、ケイスケヨシダの服を愛する人々は、厳格で繊細な心を持ち、自信があるようで実はない、そんな複雑な人物だ。都市で生きるとは、それだけで厳格さや正しさを求められ、緊張感に満ちた息苦しい日々を送ることでもある。「必死に都市で現実を生きているだけで生まれる陰鬱な香り。それこれそが人間らしさである」と仮定したことから今回のクリエイションは始まり、「モダン=現代(における美意識)」を追求する作業だったという。「都市の現代を生きる人」のための服であるならば、これまでの会場とは異なり、より都市的でラグジュアリーな文脈を持つ六本木に位置するエストネーションを会場に選んだことも頷ける。

 「吉田の内面にあるエレガンス」を具象化する作業が昨シーズンまでだとすれば、今シーズンからは自身の中にある「モダン(現代における美意識)」を具象化するフェーズへと移行したと言えるだろう。ここでいうモダンとは、「大丈夫に見える人が密かに抱える、心の柔らかい部分」とも言い換えられる。それは「気が抜けた瞬間」でもある──たとえば仕事終わりに化粧も落とさずベッドに寝そべってしまうような、生々しくも隠された側面だ。都市で生きているかっこいいあの人の“見てはいけない部分”であり、ほとんどの場合「アンコントロール」な性質を帯びている。だからこそ、今回のルックにはアンコントロールな要素から生まれたものが多く見られる。

 襟裏や見返しを一度解いて作られたというコレクションの中には、身返しや台襟が捲れ露わになることでチェスターコートに見紛うステンカラーコートをはじめ、萎びて崩れ落ちた襟のテーラードジャケット、身頃や袖を回転させながら捻り出し、不規則なドレープが生まれたシフォンのロングドレスなど、そのどれもが、無意識で服を着た際に稀に起こる気の緩みや不精によって“偶然“生まれたシルエットを起点にしている。ポケットの袋布が捲れ上がりウエストから吹き上がるように見えるデニムやタイトスカートは特にわかりやすい。「めちゃくちゃ忙しい日々」を送る現代人なら一度や二度は見たことがあるだろう。これまでのようなとびきり高いピンヒールではないことも含め、その「美しさ」を感じられたのは、今回の吉田が「現実」に向き合っている証とも言えるかもしれない。ネックラインがパンツウエストのディテールに置き換えられたジャケットなど、首元の余白やスタイリングで“強制的“に少し怠惰な印象を持たせたルックの数々は、引き続きスタイリングを手掛けているレオポルド?ドゥシェマン(Leopold Duchemin)のなせる技だろう。

 まち針で表現されたたんぽぽを模したピアスも今シーズンの「現実」の象徴と言える。吉田はたんぽぽを「探してもなかなか出会えないけれど、ふとした瞬間に目にする花」と定義する。なかなか出会えない花を、普段からよく目にしているであろうまち針で象る行為は、吉田流の現代の美意識としてぴったりだ。これは余談だが、たんぽぽは踏まれてもなかなか枯れにくい雑草だとどこかで読んだことがある。にもかかわらず、繁殖はほわほわの綿毛まかせで、強いのか弱いのか判然としない。それでも気がつけば、どこにでも咲いている。その図太さと儚さの同居はケイスケヨシダの信念と重なって見える。吉田がたびたびたんぽぽをモチーフに用いる理由も、そこにあるのではないだろうか。

 デニムやミリタリージャケットが登場したことにも注目したい。都市で“現実”を生きていることを前提にコレクションを捉えるならば、必然的に装いはスーツだけに留まらない。ジーンズやミリタリージャケットは、いまや都市生活における普遍的な服装だ。これまでならマキシ丈だったスカートがミドル丈になっていたのも「都市における普遍」を思えば頷ける。ジーンズといえばブルー、シャツといえばチェック──吉田にとってのそうした“普遍”が、今季は丁寧に服へと昇華されていた。

 コレクションの中でサプライズの役割を果たしていたのは、モデルの顔を覆うほど大きな帽子だろう。その真意はわからないが、マルタン?マルジェラのようなモデルの「匿名性」の演出というよりも、その帽子が大きな烏帽子なようにも見えたことから、日本の平安時代に見られた「女性が顔を隠すことの美意識」に近いものを感じさせた。当時、女性たちが顔を隠していたのは社会的規範や文化的な価値観によるものであり、肌の白さや髪の美しさを際立たせる手段として、「顔を見せない」ことが美徳とされていたという。「社会」が軸になっているのであれば、当然「社会的規範」を思わせる大きな帽子はコレクションの象徴として浮かび上がるだろう。

 生々しい人間を表現できるのも、また人間だ。そこにあった少年性は消え、代わりに母性のような穏やかさが漂っている。まるで何かを吹っ切ったかのような印象さえあった。今回のコレクションには、吉田の“我”のようなものが見えてこなかったからだ。だが、それは自己を消したという意味ではない。我の出し方が変わっただけで、作り手が吉田圭佑であることに一片の揺らぎもない。その揺るぎなさこそが、今回のクリエイションの中核にあると感じられた。

 さて、話を冒頭に戻そう。混沌とした脳内を少しでも整理しようと、私より長くケイスケヨシダのコレクションを見続けている記者に感想を尋ねたところ「謎に懐かしさを感じた」という言葉が返ってきた。この感覚は彼だけではなく、他の来場者からも聞かれた。多くの人が同じ印象を受けたのはなぜだろうか。デザイナー本人は「今」=現実を見つめているのに、観客が「懐かしさ」を感じる。この矛盾の理由は、創作における「過去」の経験にあると推測する。制作において、過去の経験や記憶を完全に排除することは不可能だ。制作者が意識せずとも、無意識の基盤=足場として、過去は作品に作用する。それは避けようのないことだ。私たちは、どんなに「今(現実)」を見つめていても、それを見つめる目そのものが、すでに過去の経験に支えられている。例えていうならば、赤ん坊には“今”しかないが、だからといって彼らが現実を理解できるわけではない。あったとしても精々「ピンク色が好き」「お腹が空いた」などの極めて原初的な感覚だろう。過去がないと、判断も解釈もままならないのだ。何かを見たり、考えたりする際には、原理的に「過去」が足がかりとなる。だからこそ、「現実」を見つめる創作が「懐かしさ」として受け手に届くことは、ある意味では当然ともいえる。ここで忘れてはいけないのは、吉田は「過去」を足がかりにして制作の目線を「現実」に向けていることだ。制作の目線を過去に向けることと、過去を足がかりにしていることは似ているようで全く意味合いは異なる。

 ここからは少し飛躍を含むが、創作初期の若いデザイナーにとって、「大昔の出来事」こそが唯一の創作の拠り所だったのではないだろうか。積み上げてきた経験がまだ少ないがゆえに、強烈な“初期衝動”の源泉は、過去の記憶や感情しかなかった。その後、年月を経て、かつての「今」がようやく「過去」として定着したとき、制作にはある種の“型”が生まれる。その型を一度手放し、あらためて「今、ここ」に立ち返ろうとする姿勢──それ自体が、逆説的に初期衝動を喚起し、「懐かしさ」という質感を帯びるのかもしれない。もし吉田のこれまでの創作が「遠い過去=大過去」として存在していたのなら、現在の彼は「少し前の過去」を静かに足がかりにしながら、よりリアルで切実な“今”と向き合っているのではないか。だからこそ、彼の作品には自然と初期の空気感や“若さ”が受け手には見て取れる。あたかも、過去と現在が響き合っているかのように。

 吉田が今回のコレクションで打ち出したのは「エレガンス」から発展した「モダン(現代における美しさ)」だ。それはもはや、完璧な仕立てや上品な所作を指すものではない。街中で見かける、思いがけず垣間見えるような“どうしようもなさ”。ときに不格好で、生活の匂いがして、でもなぜか目が離せない佇まい。そんな不完全な存在のすべてに、美しさを見出せる服づくり。海外を見据えているのはショーの時期を考えてもいうまでもなく、これからも私たちの「美意識」の新たな視点をもたらしてくれることだろう。

KEISUKEYOSHIDA 2026春夏

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FASHIONSNAP 編集記者

古堅明日香

Asuka Furukata

神奈川県出身。日本大学芸術学部文芸学科を卒業後、広告代理店を経て、レコオーランドに入社。国内若手ブランドに注力する。アート、カルチャーを主軸にファッションとの横断を試み、ミュージシャンやクリエイター、俳優、芸人などの取材も積極的に行う。好きなお酒:キルホーマン、白札、赤星/好きな文化:渋谷系/好きな週末:プレミアリーグ、ジャパンラグビー。

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